“「スキャンダラス」な情報は、人の注目を集めます。
人のこころを激しく波立たせます。
そういう情報を伝えるということには、まずは、
慎重であるべきだと考えるのがおとなの知性でしょう。
「そんなにすごいこと」を、次々に発信する人の意見は、
ぼくは信じる前に、しばらく置いて「待ち」ます。
待っている間に、錯覚や誤情報だと判明する場合が、
いままでのところでは、とても多かったです。
「脅かし」ている情報は、判断の選択肢をせばめます。
「これしか方法はない」と追い込まれると、
人間は考えを停止して、行動せざるを得なくなります。
「もっといい方法」を探すことも、
「いまは、それどころじゃない!」の怖れのなかで、
できなくなってしまいますから。
「正義を語る」をことさらにするということは、
「自己批評」の余地がないということになります。
「おれもダメなんだけどさ」という部分がないと、
どこまでも持論を押し付けることになりやすいです。
「よいことをするときには、
わるいことをしているくらいに思ってちょうどいい」
と、ぼくはそう考えています。
あと、「失礼」ということについては、
‥‥誰だって、失礼な人の話は聞きたくないでしょう?”
- ほぼ日刊イトイ新聞 - 目次
人のこころを激しく波立たせます。
そういう情報を伝えるということには、まずは、
慎重であるべきだと考えるのがおとなの知性でしょう。
「そんなにすごいこと」を、次々に発信する人の意見は、
ぼくは信じる前に、しばらく置いて「待ち」ます。
待っている間に、錯覚や誤情報だと判明する場合が、
いままでのところでは、とても多かったです。
「脅かし」ている情報は、判断の選択肢をせばめます。
「これしか方法はない」と追い込まれると、
人間は考えを停止して、行動せざるを得なくなります。
「もっといい方法」を探すことも、
「いまは、それどころじゃない!」の怖れのなかで、
できなくなってしまいますから。
「正義を語る」をことさらにするということは、
「自己批評」の余地がないということになります。
「おれもダメなんだけどさ」という部分がないと、
どこまでも持論を押し付けることになりやすいです。
「よいことをするときには、
わるいことをしているくらいに思ってちょうどいい」
と、ぼくはそう考えています。
あと、「失礼」ということについては、
‥‥誰だって、失礼な人の話は聞きたくないでしょう?”
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